ジャズサンビスタス
1965
Audio Fiderity
板橋純さんのライナーは完璧ですね。普段このサイトでレビューを書く場合、作品の概要から始まって、メンバー紹介、メンバーの関連作を挙げ、各曲の薀蓄や解説、分析を行う流れをとりますが、氏のライナーはそれらがことごとく網羅されているという印象。脱帽のち最敬礼であります。というわけで以下のレビューはほとんど氏のライナーの簡潔版の域を脱することはありません。しかし、そうはいってもジャズサンバの普及のためには、このジャズサンバの代表作とされる本作のレビューをいつまでもうっちゃっておくわけにもいかないので、板橋ライナーの二番煎じに過ぎないと承知しつつもレビューをしていくという次第です。
僕がジャズサンバ/ボッサジャズを聴きはじめたのは、2000年代初頭。日本における何度目かのボサノヴァブームに付随する形で再発されたいくつかのジャズサンバ作品を手にしたのがきっかけでしたが、その中の一枚がこのSambalanço Trio(サンバランソ・トリオ)のファーストでした。当時はTenório Jr.(テノーリオ・ジュニオール)の『Embalo』、Manfredo Fest Trioの3枚目、Milton Banana Trioのファーストといった作品とともにジャズサンバの代表作と紹介されていた記憶があります。それらはそれ以降も頻繁にリイシューが重ねられているので、現在でもジャズサンバの定番であるという評価は揺るいでいないものと思われます。
さて、Sambalanço Trioというと、Elis Regina(エリス・レジーナ)の旦那さんでもあったピアニストCésar Camargo Mariano(セザール・カマルゴ・マリアーノ)、ゴリゴリジャズサンバベースの大家Humberto Clayber(ウンベルト・クライベール)、後に渡米しChick Coreaの『Retern To Forever』やWeather Reportに参加することになるドラマーAirto Moreira(アイルト・モレイラ)という錚々たる実力者が一堂に会したピアノトリオです。トリオ名義では本作を含めて全部で3枚のアルバムを残していますが、多くのジャズサンバコンボが1枚かせいぜい2枚の録音で終わったことを鑑みるに、当時としても人気のあったバンドであったことが分かります。トリオは3枚目をリリースする前にSom Três(ソン・トレス)とSambrasa Trio(サンブラーザ・トリオ)に分かれてしまっていますが、それまでリリースした2作がなかなかの好評価であったため、再会セッションを行い3作目を作ったという話は有名です(どこで?)。板橋純さんのライナーで初めて知ったのですが、本作の原盤元のAudio Fiderity(オーディオ・フィディリテイ)は1965年に社名変更されてSom/Maior(ソン・マイオール)となったとのこと。本作以降の2枚はそのSom/Maiorからリリースされていますし、Marianoのリーダー作や、分裂したふたつのバンドの作品も同レーベルから発表されていくことになります。その他の関連作としてはアメリカ人歌手のLennie Dale(レニー・デイル)の歌の伴奏、トロンボーン奏者Raul de Souza(ハウル・ヂ・ソウザ)のワンホーンアルバムが挙げられます。そこではトリオ作にはみられないワイルドでアグレッシヴな演奏が存分に楽しめます。
アルバムはジャズサンバの代表曲のひとつに挙げられる'Samblues'で幕をあけます。確かに、この演奏自体のキラーチューンぶりは目を見張るものがありますが、この曲がジャズサンバの代表曲と称されるようになったもうひとつの要因はMariano自身がことある毎に自分のレコーディングで毎回取り上げたからというのもあるでしょう。再会セッションのサード、リーダー作である八重奏作、Som Trés、と実に4度同じ曲を吹き込んでいます。会心の出来だったのでしょうね。Mariano以外ではZimbo Trio(ジンボ・トリオ)のベーシストLuiz Chaves(ルイス・シャヴィス)が彼のリーダー作で取り上げています。本作における演奏は、テーマ演奏後、ピアノソロに続きドラムとのバース交換、さらにベースの独奏パートを挟み戻りのテーマという具合に、フォーマットは完全にジャズのそれ。非常に強力な一曲です。
2曲目'Balanço Zona Sul'は一転してミディアムボッサ。「山の手のサンバ」という邦題がついているくらいですからボサノヴァシーンでも名の知れた曲だと思われます。自らも作曲を行うTito Madi(チト・マジ)の代表曲である歌ものですが、Zimbo TrioやBossa Jazz Trio(ボッサ・ジャズ・トリオ)などなど、ジャズサンバシーンでも何気に取り上げられることも多い佳作です。
続く'O Morro Não Tem Vez'は厳粛な雰囲気の漂うタムを主体としたドラムのパターンから始まります。感情を抑圧したようなミディアムボッサ。ソロからは徐々に感情が表に出てきますが後ろのテーマになると再び抑制的な表現に戻ります。
Roberto Menescal(ホベルト・メネスカル)とRonaldo Bôscori(ホナルド・ボースコリ)による'Nós E O Mar'は邦題「私たちと海」。海をテーマにしたいかにもボサノバというナンバーですが、ここではリリカルなスローボッサにまとめられています。
'Homenagem A Clifford Brown'は、割と元気のいいミディアムボッサ。心地よいブルースフィーリングを持った楽曲ですが、ライナーによればDuke Peason作曲の'Tribute To Brownie'とのこと。夭折したジャズトランぺッターClifford Brownに捧げられた曲をブラジル人も取り上げています。この演奏ではアンサンブルがしっかりアレンジされていて、一瞬だけ入るピアノの独奏パートもなかなかクールです。
Humberto Clayberのハーモニカで始まる'Berimbau'は、ギタリストBaden Powell(バーデン・パウエル)が作曲したアフロサンバチューン。テーマが始まる前には有名なジャズスタンダード「Take Five」のフレーズが顔をのぞかせますが、アレンジにこの曲を借用するネタはジャズサンバでは少なくはありません。ここでは悲しみを讃えたようなサンバカンソンアレンジ。だんだん盛り上がっていくピアノのソロにドラムも追随していきます。
レコードでいうB面。'"Jacqueline K"'はしっとりとした演奏が並ぶ本作の中にあって比較的テンポの早いブルースナンバーです。(またしても)板橋純さんのライナーを参照すれば、Quarteto Novo(クァルテート・ノーヴォ)の活動でも知られるHeraldo Do Monte(エラルド・ド・モンチ)が、アメリカ大統領J.F.ケネディの夫人であったジャクリーンに捧げたらしい。この曲ではベースとドラムのソロもフューチャーされます。戻りのテーマ後にテンポをガタっと落とすいかにもジャスサンバライクなアレンジが効いています。ちなみにドラムのAirto Moreiraは後に(といっても渡米前の話ですが)この曲の作曲者らと先述のQuartet Novoを結成します。
8曲目'Consolação'は、先に出てきた'Berimbau'と同じく、Baden Powellと詩人Vinicius De Moraes(ヴィニシウス・ヂ・モラエス)の共作曲。この曲は'Berimbau'とともにジャズサンビスタに取り上げられる頻度が極めて高い楽曲でもあります。で、実際このアルバムでも2曲とも取り上げられています。この曲に限っていえば通常、激しい曲調であることが多いように思いますが、本作では大人しめの演奏。短三度インターバルのベースラインが厳かな印象を与えているように思います。ソロには力強さがありますね。
9曲目、'O Amor Que Acabou'の邦題は「失恋」。印象的で美しい旋律の動きを持った楽曲です。半コーラス分ピアノが独奏をした後、失恋の痛手を無理して振り払うかのようなベースリフを挟み、ベースとドラムが入ってのテーマ演奏。テーマのピアノソロはなかなかに内省的ですが、再びあのベースリフに戻り終了。
'Pra Que Chorar'も、通常演奏されるよりも遅めのテンポ。バラード一歩手前の微妙なテンポ感ですが、単純なバラードになっていないのはその演奏の裏に演奏者の熱さが込められているからでしょうか。
'Marisa'はMarianoが作曲したバラード。当時の奥さんであったMriasa Gata Mansa(マリーザ・ガタ・マンサ)に捧げられたという曲です。全編ピアノソロによってマリアーノの世界観が遺憾なく発揮されています。ちなみにMarisaはMarianoのプロデュースによってヴォーカル作品を残していて、伴奏は名門ピアノトリオ、Jongo Trio(ジョンゴ・トリオ)が務めています。後に彼自身がJongo Trioのベース&ドラムとSom Trésを結成するというのも、つながりが見えてきて面白いですね。
アルバムのラストはMarianoとCleyberによる共作の'Sambinha'。Tamba Trio(タンバ・トリオ)と見紛うようなメンバー3人によるダバダバコーラスがついたモンドでオシャレ系な雰囲気で、意外性を持ってアルバムを締めます。
確かに、一曲目の'Samblues'はジャズサンバを象徴する名曲として名高く、この作品を思い浮かべると同曲のもつスリリングで激しいイメージがどうしても抜けないのですが、アルバム全体としてはピアニストの音楽的嗜好・世界観が前面に出た、「夜のジャズサンバ」とでもいうべき奥深く静寂な表現を内包しているとしかいいようがありません。正直なところジャズサンバを聴きはじめた当初は'Samblues'以降の曲は急にトーンダウンするような印象がしていささか退屈に感じられることもあったのですが、ともするとイケイケドンドンになりがちなジャズサンバ/ボッサジャズという音楽シーンに表現の奥行きをもたらす貴重な作品なのかもしれない、と思えるようになってきました。
(2012.08.26)