ジャズサンビスタス
1965
Odeon
ボサノヴァドラミングの開祖というべきMilton Banana(ミウトン・バナナ)が、自ら率いるトリオで録音したジャズサンバの傑作であります。リイシューの頻度が非常に高いため、大手レコード店では在庫を切らすことなくブラジル棚に陳列され続けているような、まさに定番アイテムといっても過言ではない一枚でしょう。ジャズサンバ云々を抜きにしてボサノヴァ作品のひとつとして手を伸ばす人も多いかもしれません。で、実際に買って聴いてみたら火を噴くようなインプロジャズサンバ祭り。耳障りの良いボサノヴァを期待して聴くにはちょっと刺激が強すぎるかもしれませんね。
本作のリーダーであるドラマーのMilton Bananaは、ボサノヴァの歴史を語る上で外すことのできない重要人物のひとりです。初めてボサノヴァという音楽が録音されたといわれるJoão Gilberto(ジョアン・ジウベルト)のレコーディングに参加し、米国カーネギーホールで開かれた歴史的なボサノヴァのリサイタルにも出演、同国のテナーサックス奏者Stan Getz(スタン・ゲッツ)と前述のJoão Gilbertoが共演した歴史的名盤"Getz/Gilberto"においてバックを務めたのも彼であり、ボサノヴァドラミングの歩みは彼抜きにしては決して語ることができません。ピアノはWanderley(ヴァンデルレイ)。ブラジルにはWalter Wanderleyという有名なオルガニストがいますが、どうやら別人のようです。ベースはGuará(グアラー)。Milton Banana以外の二人の詳しい経歴は残念ながら不明ですが、同じメンバーで"Vê"という作品も残しています。
アルバム冒頭を飾る'Garota De Ipanema'は世界的に知られた、いわずもがなのボッサスタンダード。ジャズサンバにおいても取り上げられることが極めて多い最重要レパートリーで、Milton Bananaも多分に漏れず自身の初リーダー作で取り上げています。ここではメロディラインのリズムをよりジャズっぽくアレンジして、ピアノ、ベース、ドラムでアクセントをつけています。テーマを1コーラス演奏した後、ピアノソロが1コーラス、ベースソロが半コーラス、Bメロ部分をドラムソロ、Bメロの終わりから最後のAメロにかけて戻りのテーマを演奏して終了しています。
続く'Primitivo'はブラジルが誇るエンターテイナー、Sergio Mendes(セルジオ・メンデス)がキャリア初期に作曲したほぼ一発ものの高速ジャズサンバ。テーマはちょっとブルース進行を髣髴としますが基本は一発もの。バッキングリフをどんどん変化させながら、ピアノソロ、ドラムソロと続きます。この演奏ではMilton BananaのArt Blakeyばりのワイルドなドラムソロが堪能できます。
3曲目の'Samba De Verão'はMarcos Valle(マルコス・ヴァーリ)作曲によるボッサスタンダード。ジャズサンバの典型のようなアップテンポの演奏ではあるものの、メロディはオーソドックスに弾かれています。全3コーラス。始めにテーマを演奏し、ピアノソロを1コーラス分演奏した後テーマに戻ります。全体的に2分台に収まった曲が多く、ビバップのように短い時間の中に表現するべきものを詰め込んだような演奏になっています。もう少しソロを聴きたい(食べ足りない)気もしなくはありませんが、これはこれで潔さが感じられていいかもしれません。
'Primavera'はCarlos Lyra(カルロス・リラ)とVinicius De Moraes(ヴィニシウス・ヂ・モラエス)の共作によるボサノヴァ屈指の名バラードです。一度聴いたら忘れられない美しい旋律が印象的な一曲。テーマのメロディが意外と長いのでソロはとらず、1コーラスメロディを弾くだけであっさり終わらせています。この曲はジャズバラードのようにブラシを使って静かに伴奏することも多いのですが、この演奏では比較的テンポの速いジャズサンバで演奏しています。Primo Trioは同じく'Primavera'の録音を残していますが、やはりミディアムボッサによるアレンジ。彼らもこの演奏を参考にしたのでしょうか。
'Nanã'は多くのジャズサンバ奏者に取り上げられているジャズサンバスタンダード。鬼才Moacir Santos(モアシル・サントス)によるオリジナルバージョン("Coisas"に収録)では'Coisa Nº5'という曲名になっています。ピアノソロの後にとられるベースソロは、その豊かな音色とモダンジャズの語法をしっかり踏襲した音使いによって、Guaráというベーシストの技術の高さを示す好例となっています。
LPでいうところのA面の最後は'Samba Do Avião'。Antonio Carlos Jobim(アントニオ・カルロス・ジョビン)が作曲したボッサスタンダードです。例のごとくほとんどソロのスペースがない短めの演奏ですが(半コーラス分のピアノソロがあるだけ)、「ジェット機のサンバ」という邦題そのままにスピーディで熱い演奏を展開しています。
後半は冒頭でも話題にのぼったボサノヴァの最重要人物João Gilbertoと、ブラジルでも指折りのジャズ好きミュージシャンJoão Donato(ジョアン・ドナート)が作曲した'Minha Saudade'で幕開けします。邦題は「私の思い出」。Aメロはトニックから長3度まで全音で上行していきⅢ-Ⅵ-Ⅱ-Ⅴ。Bメロはほぼ循環系のコード進行でかなりジャズ的。Cannonball Adderleyの"Cannonball's Bossa Nova"に収録された演奏が有名なので、ジャズサンバ奏者に取り上げられることが多いですが、この演奏はとにかくスピーディで豪快。ナイトクラブやジャムセッションで鍛え上げられたであろう3人の面目躍如といった快演です。
続く'Ela É Carioca'は一曲目の'Garota De Ipanema'と同じJobimとViniciusによるコンビによる作曲。邦題は「彼女はカリオカ」。この曲もまたAstrud Gilberto(アストラッド・ジウベルト)のヴォーカルなどで有名なボッサスタンダードですが、ジャズサンバとしてはさほど録音が残されておらずそういう意味では貴重な録音です。遅くもなく速くもないという絶妙なテンポで演奏されますが、この曲をこのテンポで演奏するのはかなり高い技術が要求されるように思います。
9曲目の'Sambou, Sambou'も'Minha Saoudade'と同じくJoão Donatoによる作曲。ジャズ好きな作曲者らしく器楽奏者が好むようなコード進行です。各セクションの最後にブレイクが配置されたアレンジが印象的です。テーマ演奏後、AABをピアノソロに当て、最後のAだけ再びテーマを弾いて終了。2分にも満たない演奏になっています。
'Noa...Noa'は2曲目の'Primitivo'と同じ作曲者によるインスト曲。João Donatoに負けず劣らずのジャズ好きによる作曲にふさわしく、サブドミナントマイナーへ解決していく裏コードを曲の冒頭に配置したり、Bメロがモダンジャズでもとりわけ難曲とされる「Moment's Notice」風だったりと、かなりコード進行が凝っています。Milton Banana Trioはこのジャズサンバでも指折りの難曲をものともせずすごいスピードで疾走します。
'Inútil Paisagem'はJobimとAloysio De Oliveira(アロイジオ・ヂ・オリヴェイラ)によるバラード。邦題は「無意味な風景」。Tenório Jr.(テノーリオ・ジュニオール)の人気盤でも演奏されているのでジャズサンバ好きにも馴染みのある楽曲といえるでしょう。本作では'Primavera'と同様ジャズバラードによる表現は意図的に避け、ミディアムボッサで演奏しています。
ラスト。'Samblues'というとCésar Camargo Mariano(セザール・カマルゴ・マリアーノ)が作曲したジャズサンバの超定番曲が思い起こされるところですが、'Batida Diferente'、'Estamos Aí'といった強力なジャズサンバスタンダードを量産したDurval Ferreira(ドゥルヴァウ・フェレイラ)とMaurício Einhorn(マウリシオ・エイニョルン)のコンビが作曲した同名曲が存在していて、こちらはメジャー感漂う爽やかな雰囲気。コード進行の出だしが'Confirmation'っぽくてちょっぴりビタースウィート。
以上、コテコテなボサノヴァの有名曲と、ブラジルのジャズオリエンテッドな作曲家のオリジナルをピアノトリオというジャズ的なフォーマットによって熱くインプロ(即興演奏)するという好内容。個人的には、長いことドラムソロになるとパンが左右に振られる演出がどこか安っぽくて気に食わなかったのですが、それを差し引いても、ジャズサンバのお手本ともいえる典型的な演奏スタイルとアンサンブル/アレンジ、そしてジャズサンバとモダンジャズの要素がうまく融合したベースソロと、聴けば聴くほど評価が高くなってきているように感じます。モダンジャズ然とした太くて暖かい音色もやみつきにさせる一因となっています。充実の一枚。
(2011.07.28)